Composition

2010年11月2日火曜日

Fly Fishing /フライフィッシング

Fly Fishingに転向してから、この釣り一番魚が釣れない方法ではないだろうかと思った事がある。フライという餌の代わりになる疑似餌は鉄の針に獣毛や鳥の羽を結んで作る。もともと餌でないもので釣るのだから難しいのだが、良く釣れる実績のあるフライを使っても釣れるときと釣れない時がある。フライフィッシングに「マッチ・ザ・ハッチ」という言葉がある。水生昆虫が羽化する時が一番無防備になる。魚達はそれを知っていて捕食に励む。この時の水生昆虫に合わせた釣りをすることが「マッチ・ザ・ハッチ」である。

スコットランド・スペイ・サイドの実践的なフライ

フライフィッシングはサインス・フィッシングと呼ばれる。魚の生態を知り、現場の気候、地形、河川の状態、魚の状態を考え釣果に結びつける釣りである。そんな釣りをしていると釣った魚の数より、釣り方やその環境に興味が移ってくる。水質や魚のコンディション、住んでいる水生昆虫の内容。実は水生昆虫はその川の健康状態を把握するにはとても良い生物で河川水質の「指標生物」ともいわれている。結果、川やそれに連なる森、山など自然環境すべてとの対話が生まれるのがフライフィッシングの魅力である。

2010年10月29日金曜日

硯川ヒュッテで覚えた経験が釣りで蘇った

僕がキャンプを始めたのは7歳。もっともこれは毛布と缶詰とおにぎりを持って、宿と道を挟んだ反対側の岩場で過ごした志賀高原の思い出である。キャンプというより野宿。子供たちだけの小さな冒険であったが虫の声や星空、外から見る宿の光、皆の間をすり抜ける風の冷たさに全く新しい体験を感じたすばらしいものであった。一晩泊まったのか怖くなって宿に戻ったのか記憶にはない。場所は志賀高原の熊ノ湯よりさらに上の硯川ヒュッテだった。今日のように草津まで抜ける道は出来ておらず。横手山、白根山に向かう最終地で人家はヒュッテだけだった。とても美しくまた静寂がつつむ世界だった思い出がある。東京生まれの僕が今でも街より自然の中が好きなのはこの経験が大きいと思う。
戦後間もない、高度成長が始まったばかりの大変な時代に
毎年、僕を1ヶ月志賀高原に置いてくれた父と母に今でも感謝している。

それからは自然と接することなく受験勉強と街に興味を持つ時代が20年近く続く。
ワーナー・ミュージックでレコードのディレクターの仕事ついた頃、毎日深夜の仕事が続いた。もっとも昼遅く出社して深夜仕事をする、レコード会社のディレクターとしては当時は当たり前の生活だった。
そんなある日、僕と組むことの多かったミキサーが一生懸命読んでいる本を覗いた。
釣りの本だった。ルアー・フィッシングが盛んになり始めた頃だった。「これおもしろいの?」と聞いたところ「今度行こうぜ」と言われ富士五湖の一つ精進湖に
バス釣りに行くことになった。
ミキサー氏、仲の良いミュージシャン、作詞家、編曲家とかなりの大所帯で出かけた。

その当時なのでバス・ボートも船外機もなく、手こぎボートを漕ぎながら1日過ごす釣りだった。始めたばかりなのに良く釣れ、あっという間に1日が経つほど楽しい事がわかった。その釣行の帰り不思議な感覚を覚えた。いつも披露している頭の中が空っぽで体だけが疲れている、それも心地よい疲労感でいっぱいという感覚だった。考えてみればスタジオと会社で打ち合わせとレコーディングという人間関係ので成り立つ仕事は体はほとんど使わない、頭だけの仕事である。釣りは全く逆で人と接することは少なく、何をするもの自分の体が必要でまたその能力が要求される。頭や神経を使うがストレスになるような状態はない。

この気持ちよさのために毎週アウトドアに向かう日々が始まった。その後バス・フィッシングは2年ほど続けたが、山の中に入ってみたくなりフライフィッシングに転向する。

2010年10月26日火曜日

切実な問題解決の先に遊びがある

野宿とキャンプの違いはなんだろう。言葉としては同意語であるが切実さに迫られてする「野宿」と楽しみとしての野宿がキャンプであると僕は思う。
楽しむ重要な要素であるキャンプサイトもしくはキャンプ場に支払うお金はいくらが妥当なのであろうか。公営の場合は無料から高くても一人500円程度である。これは税金が投入されているので料金が抑えられているのである。ただし公共の事業費はイニシャル・コストについて補助が出る場合が多く、ランニング・コストは無しか市町村が負担している場合が多い。いってみれば赤字である。そのような事が続いてきたのでまともな対価も払えずボランティアで働いてくださる耆徳な方にお願いせざるをえない状況を生む。
これでは継続性は生まれない。顧客本位の時代とは自分の欲しいものを送り手に実現して貰う時代である。それは送り手が実現できる環境を作ることでもある。ブランドロイヤリティといっても良いかも知れない。キャンプが本当に好きなら環境を維持する意識も必要ではないだろうか。遊びなのだから。

無印良品キャンプ場の誕生の背景

ちょうど今から18年ほど前、僕はセゾン・グループのクリエイティブ・エージェンシーであるSEDIC(セディック)に在籍していた。この会社は音、映像、イベント、TVCMなど、当時のセゾングループの広告表現の殆どを手がけていた。僕はその中でプランニング、プロデュースを担当していた。もちろん現場の実施立会や予算が少ない場合は自分で実施もしていた。当時勢いのあったグループだけに様々な企画がすぐに実現する良い時代であった。その中で環境について研究をする仕事と機会が与えられ、内外の環境関連の資料を読みあさる事が多かった。当時はまだまだ環境についての認識や共通の定義・基準が曖昧な時期で、ニューサイエンス誌に掲載された「人間は地球の癌」的なものから「とりあえず社会的責任を回避」的なものまでと、曖昧な時代であった。そんな中でセゾン・グループの環境に対しての姿勢の一つとしてドキュメンタリー映画「地球交響曲ガイヤシンフォニー1番」を制作することになった。その制作現場を担当することになり制作進行していく中で環境に対して自分なりの認識が具体的な形になっていったように思う。


この映画は龍村仁監督によるもので龍村仁監督らしい優しさとしっかりしたメッセージを持っており、「地球と人間の関係」を考える上で素晴らしい作品に仕上がっておると思う。
もし宜しければ制作会社オンザロード http://www.otrfilm.com/1cast.html で内容をご覧になっていただきたい。

話は変わるが、無印良品とは西友の事業部の頃からのつき合いである。細野晴臣さんの書き下ろしで始まったオリジナルBGMの制作を通しての関わりであった。ある時、宣伝担当者から、何か新しい企画はないかとの話をもらった。ちょうど無印が西友から独立した頃である。僕は当時まだそれほど話題にはなっていなかったがキャンプ場に集まるファミリーのキャンプ熱を昔の野音ロックフェスに例えて説明し、ファミリー・キャンパーの為のキャンプイベント企画を提案した。担当者は「それやろう」と即断し「無印良品サマージャンボリー」と銘打って年に一度始めることになった。これは生活全体を扱う無印良品として「生活の原型」であるキャンプを支援することによって、「家族のふれあい」「自然とのふれあい」「地域とのふれあい」をお客様と無印が共通に体験し、認識、発展させるすることを目的としたテーマ・イベントであった。通常このような話はなかなか理解されない話ではあるがチャレンジ精神が高く、高い企業文化度を持つ無印良品だったから実現した話である。
このイベントはその後22年間継続された。

19回目の告知パンフレット(出典(株)良品計画キャンプ事業部)


現在はこのイベントは終了しているが、一つの企業が22年の永きにわたり商売に直接的でないイベントを継続することは日本ではとても珍しい事だと思う。無印良品という意志を持った企業の文化と創業社長である木内政雄氏によるところが大きいと思う。また時代や社内もそれを支援する空気があった。このサマージャンボリーも8回を迎えた頃、毎年参加者が増え抽選になり、多くのお客様に残念な思いをさせてしまうほど盛況な状態で場所の確保も難しくなってきた。


ガイヤ・シンフニーとサマージャンボリーを実施する中。環境についての話題やTV特集などが巷に増えていった。植栽、資源再生、省エネ、CO2等様々な事柄がニュースやTVを賑わすようになってきた。そんな中アマゾンの熱帯雨林の伐採のニュースが流れ「森の乱伐採はけしからん」的なことが報道され、画面にはブルドーザーが森林を切り開いている画面が映し出され、急激な森林破壊は人類にとって大問題である的なことが報道されていた。


大問題ではあるが、スコットランドもイングランドもヨーロッパ各地は昔は広大な森に覆われていた。産業革命後に燃料としての森の伐採が行われ、牧草地や農地に変わっていった経緯がある。日本も同じように大きく開発されてきた。その先進国が今度は自分の空気について自国がやってきたことを棚に上げ途上国を揶揄している。おかしな話であると見ながら思った。先進国の殆どは高緯度に属している。亜寒帯エリアもしくは寒帯である。日本は温帯、アマゾンは熱帯である。温帯の日本ですら雨も多く植物の生育は人間をも駆逐しかない強さを持っている。アマゾンの人々も現在先進諸国と呼ばれる国々の人々も同じように生活のため、腹を満たすために仕事として森林を伐採している。それしか方法がないのである。
このように書くと森林伐採賛同者のように聞こえるがそうではない。時代差こそあれ同じ目的のために同じ事をしてきた人々が後から来るものを批判することは出来ないと思うのである。また自国の論理を気象環境、自然環境の違うエリアに持ち込むのはいかがなものかと思うのである。日本は亜熱帯のそれも水に恵まれた国である。ヨーロッパやアメリカとは環境が異なる部分が多い。それを同じ論理で同様に考えることは難しいと思う。僕は森林伐採が良いと言っているのではない。森は出来るだけ保護し生態系の維持は地球全体で重要であることは周知の事実である。問題は自然を守ることによって土地の人々の正当な労働が生まれることが重要で、一方的な援助や寄付などには人権無視のような違和感を覚えるのである。

人が働いた対価として腹を満たすのと与えられたもので腹を満たすのでは本質が全く違う。保護、金銭的な補助、支援というような構図が保護活動にはついて回るがこれは富めるものの欺瞞が多いように思う。アメリカ・ネイティブ・インデアン、イヌイット、ネイティブ・ハワイアンなどの歴史的な保護政策は支配者と被支配者の構造の何者でもなく、そこには保護と言う名の下に人間の尊厳を無視した欺瞞が見え隠れしている気がした。自由に自分の生活を自分で額に汗して得ることが労働のすばらしさでありその結果の対価は満足に値するものであると僕は思う。そんな当たり前をどこかに置いてきたようなTVニュースであった。


そのようなことが事があったある日、山梨の山間部のキャンプ場に行った。小さいけれどとても良く管理され気持ちの良いキャンプ場だった。ゴミの処理をしていた初老の方に「ありがとうございます。大変ですね」と声をかけながら話し始めると(1)夏場だけここの仕事を一人でしている。(2)朝から晩まで働いても小遣い程度だけど、子供達が喜ぶのがうれしいのとやる人間がいないからやっているが、自分がいなくなったらやる人がいなくなる。
(3)ここも昔は無料だったけど500円取るようになったら、ゴミを置いていく人や文句を言う人が増えたので貰わなかった方が良かった。などの話をした。「そうかここにも同じような問題があるんだ」と思考が短絡な僕は、先日見たアマゾンのTVニュースの印象が蘇りキャンプ場とオーバーラップした。それは利用する人間の『我が儘』である。